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一弓の人生ゲーミング

ものを手放し、道具を持つ——ミニマリストが自給自足を目指すまで

ミニマリズムと自給自足は、矛盾していそうな概念だ。

ミニマリズムとは「持たないこと」を美学にする生き方で、自給自足は「生きるために必要なものをすべて自前で持つ」という生き方だ。向いている方向が、まったく違う。

なのに私はいま、その両方を経由している。ミニマルな姿で、自給自足へと向かっている。

これはそのお話。


普通の家庭で育った、普通の子供

生まれたのは地方のベッドタウン。父は教師、母はパートタイムで働く、どこにでもいるような5人家族だ。妹が2人いた。

特別裕福でもなく、特別貧しくもない。「普通の暮らし」という言葉がそのまま当てはまる環境だった。当時はミニマリズムとか自給自足とか、そういった概念とはまったく無縁だった。

ただ、もともと「ものをたくさん持ちたい」タイプでもなかったとは思う。派手さより質素さが性に合っていたのは、子供のころから変わっていない。


エンジニアとして働きはじめて、気づいたこと

大学を卒業して、一部上場企業に滑り込んだ。そこで、産業機器の組込みエンジニアになった。

収入はそれなりにあったが、生活は質素だった。贅沢を好まない性格もあって、生活に必要なお金を差し引いた分は、全て投資信託に回した。資産の評価額は徐々に増えていった。数字は増えたのに、生活の実感は薄いままだった。

PCに向かって仕事をこなし、その対価として「給与」や「評価額」という数値を受け取る。それで生活が成り立っているはずなのに、外から見れば順調なはずなのに、どこか空中に浮いているような感覚があった。生活と切り離された活動時間が徐々に増えていき、じわじわと「なにかがズレている」という感覚が積み上がっていった。

キーボードを叩き、数値を増やすのではなく、生きるための活動で全てを満たしたい。その感覚が、じわじわと輪郭を持ちはじめた。


ミニマリズムとの出会い

ミニマリズムを知るきっかけはYouTubeだった。

あるミニマリスト系のチャンネルを見て、「これだ」と思った。Apple製品が好きで、スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていた話も知っていた。シンプルであることへの美学に、素直に共鳴した。

私にはHSP(Highly Sensitive Person)の気質がある。ものが多い空間は気が散るし、管理のコストもじわじわ体力を削る。ミニマリズムを実践してみたら、そのあたりが楽になった。

服は同じものを3〜4枚買って、毎日同じものを着る。決断が一つ減り、朝が少し楽になる。これがわりと自分の性に合っていた。ミニマリズムは、当時の私にとって「仕事で感じている違和感を解消するための手段」だった。

これで理想の暮らしに近づけると思っていた。少なくとも、しばらくはそう感じていた。


それでも、仕事に押しつぶされた

ところが現実は甘くなかった。

だんだんと仕事を任されるようになり、残業が増えた。ミニマリズムで生活の余白を作っても、仕事がその余白をすべて埋めていった。持ち物は減った。でも時間は増えなかった。

数ヶ月前、ついに限界が来て仕事を辞めることにした。空白の時間ができたことで、初めて「給与以外の土台」を真剣に考え始めた。

辞めてから改めて考えた。自分は何を目指していたのか。ミニマリズムで解決しようとしていた「ズレている感覚」の正体は何だったのか。


ミニマリズムだけでは足りなかった要素

その時間で色々模索するうちに、もっと根本的な話に行き着いた。

ミニマリズムは「不要なものを持たない」ことで生活を軽くする考え方だ。でも私が本当に手放したかったのは、「お金がなければ生きられない」という状態だったのだと気づいた。

持ち物を減らしても、食料も住居もエネルギーも、すべてお金でしか手に入らない構造は変わらない。その構造に組み込まれている限り、仕事を辞める自由は本当の意味では手に入らない。

わたしが自分のMission(使命)として言語化したのは、こうだ。

資本主義をハックし、ゲームバランスを整える。

ここで言うハックは、ルール違反を犯すという意味ではなく、仕組みの外側に土台を作り、依存度を下げるという意味だ。

資本主義の問題は「労働への強制参加」にあると思っている。生存の土台を労働収入でしか得られない社会では、ルールが理不尽だとわかっていても降りられない。自給自足は、その強制参加から降りるための手段だ。

自分で食べるものを育てられれば、食費への依存が減る。エネルギーを自前で調達できれば、光熱費への依存も減る。古民家を自分でリフォームできれば、住の依存も減る。

生存の土台を少しずつ自前で持てるようになったとき、初めて「参加するかどうかを自分で選べる」ようになる。

ミニマリズムで「不要なものを手放す」ことを学んだ。次は「依存そのものを手放す」番だった。これはコスト削減の話ではなく、自由の獲得だと思っている。


ミニマリズムと自給自足——矛盾の正体

ここで、最初の問いに戻る。ミニマリズムと自給自足は、矛盾しているのか。

私の答えは「削るものが違うだけで、同じゲームをしている」だ。

ミニマリズムは「不要な所有」を削る。自給自足は「お金への依存」を削る。どちらも余計なコストを払わないための選択だ。

だから生活上の判断も、自然と整理できる。服は引き続き同じものを複数枚持って毎日着る。でも畑の道具や、鶏を飼うための設備は、ちゃんと所有する。削るのは「余計な所有」であって、「必要な所有」ではない。


今、どこにいるか

まだ構想段階だ。田舎への移住、畑、自家製の堆肥。ベランダ菜園から始めようとしている段階に過ぎない。

でもベクトルは決まった。

生存の土台を自前で持ち、強制参加から降りる。そのうえで、本当にやりたいことに時間を使う。自分の生き方が、そのまま「資本主義に依存しなくてもいい生き方」のモデルになれれば、それが誰かの参考になるかもしれない。

ミニマリストから自給自足へ。矛盾しているようで、私の中ではずっと同じ問いへの答えを探していた気がしている。だからこれは、「目指すまで」の途中経過の記録でもある。